ココロがずっと叫んでた②
去年の暮れ、私の宣言通り別居しました。
子供との話し合いで息子はパパと。娘は私とそれぞれに生活していくことに。
その生活のスタートをキッカケに病院に行ってみよう‼︎って思いました。
強く!強く!
強くならなきゃって思うほど
私って本当弱いなーって実感。
子どもの前でも泣いちゃうし。。
ダンナに言いたいことも言えず。。
何か言われた時に一瞬反論が頭に浮かぶけど
すぐに、その反論した後に
またダンナからされるであろう反論を
想像して口に出さずに終わらせる。
言うことでダンナも何か気づくことが
あるのかもしれないと何度も思ってきたけど
これからもこの壁は越えられそうにないや
ココロがずっと叫んでた
3年前
祖母が亡くなり、仕事も上手くいってなくて、子宮頸がん検診では精査が必要と言われ今から振り返るといろんな角度から自分のメンタルを試される出来事があった。
その頃の私は、朝子供たちを送り出すとまた布団にもぐり、出勤時間まで眠り、仕事して、帰ってきたらまた、布団にもぐる。夫が帰ってくる時間まで何もできず、帰る頃にようやく夕食の準備。そんな毎日だから家事も最低限以下。そんな自分を責めつつもどうしようもできない。心はやらなきゃと叫んでるのに体は全く動いてくれない。心と体の間にいる私がどっちの指令も止めてる感じ。
おかしい。おかしい。病院に行かなきゃ行けないんじゃないか。。何度も思った。でも、もし、うつ病と診断されたら?いずれダンナとの離婚を考えていたので、親権に不利になるんじゃないかと思い行けなかった。
お久しぶりの説教
子供達が登校し、出勤までの2人きりの時間。
リビングで家事をしていると、昨夜のムスメの様子(音楽番組を、見ながらダンスをしてました)を思い出し、これからはこんな姿も見れなくなるんだな。。とつぶやいた。
私も、そうだねぇ。。と返した。
その答えにスイッチが入ったらしく、出勤までの約1時間、今での私の妻として、母親としてできてなかったことを延々としゃべりだした。『おれはこんなことを耐えてきて乗り越えてきたのに、お前はお金の事ぐらいで離婚ってなる意味がわからない!納得できない!』お金の事ぐらいって。。家に帰るたびに督促のハガキを毎月のように見て、ガス屋さんが、引き落としできなかったと毎月集金にきて、ダンナの収入も貯金もしらず、もらえる食費は3万円。。一般家庭の平均を知らなかったから、これでやりくりできないのは私がいけないんだってマインドになり自分にも否定的に。3年ぐらい前に、家のお金を私が管理したい!と申し出た時も、あいまいな返事で結局いまだに引き継がれず。そうこうしてるうちに、私から離婚を、切り出したのだけど。
離婚を告げた日
ちょうど先週の月曜日‼︎子供達を交えて離婚の話し合いをしました。ざっくり言うと、パパとママは別れて暮らしていく。子供達はどっちの親に着いて行くか。。ってゆー話し合い。
ブログの内容
時系列で書けていません。
こんな事があったなと思い出してはUPして、現状もUPして、ってゆう感じです。すごく読みにくいわかりにくい文章もあるかと思いますが、これからもお願いします。
私の過去
ダンナは私の過去の恋愛を知りたがった。ダンナに出会うまで何人と付き合ったか、どんな人だったか。ダンナとまだお付き合いしてる頃、初めて聞かれた。今となっては自分のアホさに情けなくなるけど、その頃の私は、ダンナのことが好きだったし、嘘をつくのが嫌で正直に答えた。ほんとバカ正直。
それがのちのちめんどくさいことになるなんて思わなかった。
結婚して何年かしてなぜかまた、過去の話になり、また人数を聞いてきた。でも、その答えが昔聞いた人数と違ったらしく、そこを問い詰めてきた。…。ってかさ、そんなのどうでもよくない?今の2人に何の関係があるの?そんなこと思っても言えなかったけど。ダンナの尋問が始まると、当分終わらない。何を言っても反論されてうちのめされる。しまいには、過去の彼氏に対して悪口。これには本当傷ついた。その時その時相手のことが好きで付き合って恋愛して、苦い経験も何もかもいい思い出として私の心の中にあるのに、平気でその思い出をぐっちゃぐちゃにされた。私だって、なんであんな恋愛したんやろーって思うこともあるけど、それは他人がとやかく言うことじゃないよね。今となってそう思ってもその過去は変えられないし消せない。そういうどうしようもないことも屁理屈並べて私を攻撃してきた。